外林秀人 ドイツからの便り/ベルリン通信

ドイツからの便り/ベルリン通信

外 林 秀 人
Sotobayashi Hideto

E-mail: h.soto@sotobayashi.de

人類が共有すべき痛恨の歴史の目撃者・科学者・外林秀人氏の講演活動を伝える“The Asia Pacific Times/December 2007”

外林秀人(Sotobayasi Hideto)氏・1929年生まれ、京都大学を経てマックスプランク研究所教授、ベルリン工科大学教授、
1994年退職ベルリン在住、ベルリン日独センター評議員。1945年8月6日広島で被爆、広島の原爆手帳所持。
詳細は「ドイツの原子力物語」外林秀人・外山茂樹訳編著.参照

外林秀人-「ベルリン通信」・2008-No.3 <2008年6月1日>

「ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会」
講演活動の記録

先月、4月8、9日に、ハンブルグの南50kmにあるリューネベルグ(人口:7万)  の独日協会の招 待で2回講演をしました。
8日はリューネベルグの水道塔(昔は、町の中心地 に塔を造り、水を塔の上にあげ、水圧をつけ、各家庭に給水した)の5階にあるロマンチックな部屋で 話をした。80人位の聴衆で満席で、半分が、 独日協会の人だったと、リューネベルグ  独日協会会 長のゲバールさんが言っていた。
いつもの事ながら、私の体験談、DVD”ひろしま”の 上演後に、「ポツダム・ ヒロシマ広場をつくる会」の副理事であるジャーナリスの福本さんがベルリンから来てくれ、ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会 の主旨を説明し、最後に募金をした。

会は19時30分から始まり、2時間経っても質 問、討論が終わらず、会長の意向で、会を終了した。
ローカルの新聞がインタビューをしたり、会場に来 て、非常に好意的な記事を書いてくれた。

翌日、9日午前10時から、ゲバール氏の娘さんが在学 しているリューネベルグ の高等学校の大講堂で、 16〜18歳の生徒300人に話をしました。みんな緊張して、静粛に話を聞いてくれました。私の体 験談、DVD”ひろしま”の上演後に、生徒20人位 が、壇上に上がり、各自が、反戦、平和を祈念する スローガンを叫びました。非常に印象的で、相当準備したと思います。

後日先生からメールで、生徒達 は、相当なショックだったようで、校内新聞に記事 を書いた様子ですと、連絡ありました。しかし、何でショックを受けたのか、校内新聞の記事など、十分の資料が集まっていないので、纏まり次 第、後日又報告します。最後に質疑応答がありまし たが、12時になり会は終了しました。募金はしま せんでしたが、印象的な、有意義な会でした。将来 機会があれば、又やりたい会です。

次の講演会は、6月下旬のハンブルグ、オルデンブ ルグで、ベルリンから電車を利用して一周するつも りです。

昨年11月1日に語り部の仕事を始めたが、次の予定表 に一括しました。

反響があまりにも大きく、我ながら驚いている次第 です。このスケジュールをこなす為には、相当な体 力を必要とし、7月は休養の月としています。ベルリン独日協会も、この活動を認め、今年の年総会 で、名誉会員の賞状を私に授与しました。

募金は順調に進んでおり、ベルリン、ハノーバ ー、 リューネベルグの三回の講演会で、約1000ユーロ(日本円で約15万)がすでに集まってお り、この調子で今後進んでいくと今年中に、記念碑 建設費用は捻出できそうで、理事に、具体的な案を 検討してもらっています。

予定の講演旅行を遂行するためには、体力が必要で 健康に注意して、日々を過ごしています。では、また・・・。(外林秀人)

<講演会 ”広島と長崎への追悼”>

2008〜2009年 講演・活動予定
<開催日時> <開催場所・主催団体・テーマ・記録事項・その他> 開催
08年2月14日 ・市役所/独日協会・ハノーバー、その他  「ハノ-バー と 広島姉妹 都市提携25周年を記念して」
08年4月8日 ・リューネベルグ  独日協会
08年4月9日 ・リューネベルグの高等学校の16〜18歳の生徒300人の前で・・・
08年5月7日 ・ベルリン工科専門学校
08年6月25日 ・ハンブルグ商工会議所総会所/ハンブルグ独日協会
08年6月27日 ・オルデンブルグ/オルデンブルグ 独日協会
08年8月1日 ・ヴァルツブルグ/シーボルト協会 その他
08年8月3日 ・ボンのルター教会/ボン独日協会の主催で講演会をします。
08年中旬 ・ベルリン /「ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会」、その他
08年8月28日 ・チューリッヒ(スイス)/生き証人達のフォーラム/「 無関心と忘却に抗して」
08年9月1日 ・オスナブ リュック/オスナブリュック独日協会
08年9月8日 ・ミュンヘン/ミュンヘン独日協会
08年9月9日 ・レーゲンスブルグ/レーゲンスブルグ独日協会
08年9月11日 ・ブレーメ ン/ブレーメン独日協会
08年10月4日 ・ウトレヒト(オランダ)/日蘭対話の集い
08年10月16日 ・カールスルーエ/カールスルーエ独日協会
08年11月3日 ・ハレ/ハレ独日協会
08年11月26日 ・フライブルグ/独日文化協会フライブルグ
08年11月27日 ・ドナウエシンガー/独日ドナウエシンガー
09年4月3日 シュトウットガルト/独日協会バーデン ヴェルテンベルグ


“ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会”の紹介
ヨーロッパにおける―外林秀人氏の被爆体験を語り継ぐ講演活動の拡がり
ベルリン通信・No.2-<2008年2月28日>
<講演活動報告>:

2月14日、ハノーファーで講演会 開催

 ハノーファー・ヒロシマ姉妹都市提携25周年に関連して、私の講演会は、ハノーファー市、独日協会ハノーファー、ハノーファー日本人会の共催で、25年前、姉妹都市契約式典が行われた、ハノ-ファ-市役所の素晴らしい会場で行われました。

 ヴァイル市長自身が、挨拶から、最後の議論までの2時間にわたり在席して面倒を見てくれました。25年前のシュマールシュテク市長も、夫妻で出席され、会の後、挨拶に来られました。
 ハンブルグから日本領事館の人も、来ていたとのこと。何れにせよ超満員で200人位でした。

 36分のDVDは大変好評で、体験談および、ポツダム,ヒロシマ広場をつくる会の紹介、討論のプログラムが2時間で纏まりました。
 最後に募金等のごしえんをいただきました。募金箱に420ユ-ロ集まり、満足しました。

 次の講演会は4月8日、独日協会リュネブルグ(ハンブルグの南50Km)でやります。

この度スイスからも招待が来ています。
 チュウリッヒからで、”生き証人達のホ-ラム−無関心と忘却に抗し−”の会での招待講演で、7月頃やる予定です。

平和市長会議2000都市突破の記事が、中国新聞に報道されていましたが、日本の加盟都市は広島と長崎だけですが、ドイツは308の都市が加盟しています。ドイツ各地の独日協会が私の講演を希望する雰囲気が出ております。

 この様な状況で、ドイツ語の字幕のDVDを作製して頂けたらと、プロデュ-サ-の田辺様に相談しているところです。
発信 外林秀人

“ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会”発足

ベルリン通信・No.1-<2008年1月18日>
1)”広島広場協会”
 今までいろいろの名前で呼んでいましたが、理事の福本氏と相談して以下のように統一しました:

ドイツ語名: Hiroshima-Platz Potsdam e.V.
日本語名: ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会

概 要:
 ポツダムでは、地元の人たちのイニシアチブで、第二次世界大戦の戦後処理を話し合うために開催されたポツダム会談に際し、米国のトル-マン大統領が滞在していた邸宅前の広場を“ヒロシマ広場”と命名することが、ポツダム市議会で2005年に決議されました。
 この時、トル-マン大統領が滞在していた邸宅から、原爆投下の命令が出ているのは間違いないからです。
 更に、地元の人たのイニシアチブで、その史実を記録した銘板ないし記念碑をこのヒロシマ広場に立てるための募金運動が2006年夏から行われています。募金活動をさらに活発にするため、2007年秋には、”ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会”という団体が設立されました。
 つくる会では、若い世代に史実を伝えるための催し物を開催することも計画しています。

 2)”広島の原爆”の講演会
 この活動に共鳴し、講演会を行い、募金運動をしている。

 昨年、2007年11月1日、独日協会ベルリンと将来研究・技術評価の研究所の共催で、ベルリン日独センタ-で、講演会を行った。

 今年2008年も引き続き、講演会を行う積もり。

 a)2月14日、独日協会ハノ-バ-の後援で、ハノ-バ-市役所で、講演会をする。

 b)10月初めにオランダで講演をする。

 今年初め、オランダから、星野文則氏より”日蘭対話の会”での発表依頼を受けた。彼は、オランダで年に一回の
”日蘭対話の会”という太平洋戦争を考え、平和を願う活動の手伝いしておられる。
 昨年11月11日の毎日新聞、i.t.i.のHPのベルリン通信で、外林が原爆体験談の講演やDVDを上映したことを知り、同じことをオランダでもできないかの相談でした。
 今年は第12回(www.djdialogue.org)で、10月初めに開催される予定。講演受諾しました。

 c)以下記述する予定は、未だ日時が定まっていないブラン:

 昨年末に、NHK”地球アゴラ”(www.nhk.or.jp/agora)の鈴木淑子氏より、番組出演の検討依頼がありました。数回電話インタビュ-を繰り返し、特集”はるばると日本人”  ( 異国の大地に根を下ろし暮らす日本人の素顔に迫る。)で参加したらと話し合い、目下検討中。

 ベルリン大学医学部、ベルリン工科専門学校(昨年講義をしたが、好評で、今年は広いところで多くの聴衆に)、その他ポツダム、ブランシュバイク等が、講演を希望しているが、日時未定。
 何れにせよ、多忙の一年になるようです。  
発信 外林秀人


ポツダムの“広島記念場所”協会

ベルリン通信・No.1-<2007年10月12日>

1945年7月25日に、ポツダムのグリ−ブニツ湖畔の”トル−マン-ビラ”(小さいホワイトハウス)から、ワシントンの防衛省に、原子爆弾を日本の都市に投下するよう指令が出され、広島と長崎の原子爆弾被爆になった。

2007年7月末にポツダムに ”広島記念場所”協会が創設された。この協会の目的は、記念碑を建てる為の募金活動であり、同時に広島、長崎の惨事を忘れないように、いろいろの行事を行うことである。

外林秀人は、この活動に共鳴し、”広島の原爆”の夕べを、ベルリン日独協会と将来研究-技術評価の研究所の共催で、2007年11月1日にベルリン日独センタ−で講演会を行う。

講演会のプログラム:
語り部:外林秀人。
 1-体験談、
 2-DVD ”ヒロシマ グランドゼロ -あの日、爆心地では”上映(日本語、英語の字幕):原爆が破壊する直前の広島の爆心地付近の町並みや人々の暮らしをコンピュ−タ−グラフィックスで再現した映像作品。
 3-討論

来年はポツダム、ハノ−バ−の独日協会で同じ様な講演会をして募金運動をする予定。
発信 外林秀人


原爆投下日を知らせるトルーマンのメモ

広島の原爆の夕べ:2007年11月1日・ベルリン日独センターで開催

ベルリン通信・No.2-<2007年11月12日>

”広島の原爆”の夕べを、2007年11月1日にベルリン日独センタ−で、ベルリン日独協会と将来研究-技術評価の研究所の共催で行いまし。

センタ-の一番大きな部屋(定員200名)がほぼ満席になり、18時から時間切れの3時間の21時まで熱心に討論されました。

ポツダムの広島記念場所の記念碑を建てる募金も320ユ-ロ(1ユ-ロ・約154円)集まり、関係者が喜んでいます。

この講演会を日、独の報道関係者が取り上げてくれ、これが大きな成果でありました。

ベルリンの新聞:
"Berliner Zeitung" ...もとは東ドイツの新聞ですが、現在 ベルリンで一番発行部数の多いインテリの新聞で、講演会を紹介。
"Tageszeitung (Taz)"..若者が読み、大きな写真(20x14)をいれて、インタビュ-を掲載。
"rbb" (ベルリン-ブランデンブルグ放送)..5分間のインタビュ-を放送。(知人が放送を聞いて、来てくれました)

会の後、ドイツの新聞を見て日本の新聞が興味を持ち、共同通信、東京新聞、毎日新聞からインタビュ-の希望がきました。

共同:神戸の知人から日経で記事を読んだとのメ-ル、
   鹿児島の未知の人より、語り部の仕事を感銘、激励のメ-ル。
毎日:11月11日の朝刊国際版に掲載。

11月8日にベルリン工業専門大学で話をしましたが、次便にします。

マイトナ-/ラウエの書簡集になかなか手が回らない状態です。
発信 外林秀人

広島−長崎平和学習コース/ベルリン工科専門学校で講義

ベルリン通信・No.3-<2007年12月19日>

先便で言ったように、11月7日に- ベルリン工科専門学校で講義をしました。2004年から、ベルリン工科専門学校のオイゲン アイヒホルン教授が広島-長崎平和学習コ−スを開講し、毎水曜日に、いろいろなテ−マ−で講義を
行っています。

11月7日のテ−マ−は”被爆者”で、私に話をするように依頼があり,体験談を話すことで受諾しました。
午後3時頃、約30人の男女の学生が集まっていた。一週間前に200人の前で話した時と違い、直接顔を見て話をするので、反応がよくわかり、話を加減できた。
爆心から1500メ−タ−離れた地点で被爆して、未だ生きていること、さらに、被爆者がいろいろな面で疎外されていることが、彼らに新しい知見であったようだ。

”グランド ゼロ”のDVDも上映したが、時間の関係で途中で止めた。
東京、中日新聞のベルリン特派員の三浦耕喜氏が同行し、11月13日の新聞に記事が掲載されている。
来年2月14日は、ハノ−バ−の独日協会の主催で私の講演会を、市役所でやる予定で、ベルリンと同じように多くの人々が集まればと思っている。

後一週間で、クリスマス、2週間で年越しで、ベルリンも零下5度ぐらいで寒くなった。
70年前の1938年ベルリンで、クリスマスの頃、ハ−ン、ストラ−スマンが核分裂を発見した。
”ドイツの原子力物語”の第一ペ−ジは次の文章から始まる:
『1938年12月零下16度の寒さに、オ−デル川の船の運行は停止され、ドナウの流れも凍りついていた。ドイツは寒かった。そしてベルリンもとても寒くなった。』

地球温暖化のせいであろうか、最近はそこまで冷え込まないが。

最後に、来年の皆様のご多幸を祈ります。
発信 外林秀人

―編集部より―
ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会
Hiroshima-Platz Potsdam e,V.
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