“いただきもの”の文化/“愛の器”の物語

自らに許された・いちばん美しい姿になって・また自然に還って行きたい・・・!

3章 資源のコンセプト



“物の命”・“生ある命”を育むぐ“愛”の永続性を願って
―これだけは知っていただきたいこと―

 “資源”というのは英語の“Resources”という言葉からも分かりますように、“Re”というのは、何回でも繰返す、という意味で、“Source”は、“もとになるもの”という意味をもっています。
 ですから、何回でも使うという意味と、繰り返し、繰り返し形を変えて自然のサイクルの中に“めぐり・めぐって行くもの”という意味があるのです。
 このように、物質が自然のサイクルの中で、ぐるぐるめぐりながら、命を育み、生かしていく限り、その物質は、永遠に生命を育んでいく能力を持っていると言ってもよいでしょう。

 それが“資源−Resources”の本来の概念だと思います。ですから“永続”という概念を抜きにして資源を語ることはできないのです。

 今、人間(私達)は、あらゆる工業技術を駆使して、自然界から人間にとって役に立つ物質を取り出し、それをもとにして、さらに新しい物質を作り出して使っています。使い捨てているといってもよいでしょう。でも自然界に蓄積されている物質を資源として使わせていただく以上、何回でも、何回でも、できる限り繰返して使い尽くしていく。そういう目的に向って努力していかなくてはなりません。

 それが『焼き尽くす』ということなのです。知恵の火で焼き尽くす・・・。「自然のものは自然へ」・「神のものは神にお返しする」ということなのでしょうか。

 私たちが使わせていただいている資源が、もとに戻せないような形で止まってしまうと、それはもう資源ではなくなって、単なる素材、マテリアルになってしまいます。

 マテリアルというのは、繰り返し、繰り返されるという概念を抜きにしていますから、今、必要なものを必要な形で使う、言い換えれば、人間が刹那的に生きていければそれでよいというとらえ方になってしまいがちです。
 
 したがって自然の生態系を破壊して将来の人間、未来の命まで否定してしまう、そのような考え方を内包していると思うのです。

 ですから今、永続という概念を基本におく“Resources”という言葉の意味を深く、深く見つめなおして、大切にしたいと思うのです。

 資源に永続というコンセプトがあるとすれば、人間の側にもそれに対応するコンセプトがなくてはなりません。私は、それは、『愛』ではないかと思うのです。

 宇宙からいただいた愛、人から人へ捧げられた愛、それは創造、つまり、愛の結晶を生み出し続けていくことです。

 人間は、生み出さない限り生き続けて行けません。生み出すことによってまた次の世代が生み出されていく。ですから真の愛がある限り、創造があり、創造は永続を指向していくと思うのです。

 では資源というコンセプトの下に愛を育んでいくにはどうしたらよいでしょう。愛を持続しようとすると、自然とかかわりを持たなくては生きていけません。自然に触れているだけでなく、また埋没するだけでもなく、自然に対して心を開いて受け入れていかなくてはなりません。

 自分という“器”で受けとめた自然、あなたという“器”で受け止めた自然、その一つ一つに資源という概念を重ね合わせて、何ものかを創造し、また再び自然に返していく、それが自然に対して開かれた心だと思うのです。ですから愛と資源は切り離すことのできないものだと思うのです・・・。

次の章へ